東電福島第一原子力発電所の事故から2ヶ月ほどが経過しようとしているが、この間に一般市民による原発反対運動やデモ行進が日本の街の随所で行われたらしい。しかしながら日本のマスコミによる報道よりも、海外の報道からこれらの運動やデモの様子が伺えるのは、同じ日本に居ながら私は少し違和感を感じる。なぜ、日本のマスコミはこうした国民の運動を大々的に宣伝しようとしないのか?囁かれる思惑は幾つかある。東電を始め9つの電力会社が有力なスポンサーゆえに、見えない政治経済力が働いてこれら電力会社の政策に不利に働く情報は、あまり国民に対して知らせないというものや、そもそも国民の運動は”一瞬にして暴徒と化す”おそれがあり、報道が暴徒の起爆剤にならない様にするために、政策的に報道させないとする国家権力による圧力が古くから存在し、今回の運動もそうした圧力を意識した”自粛”が各報道機関にあったのだろうとするものだ。
さて、戦後間もない日本にあって、これまで治安維持法による徹底的な思想言論弾圧を生命身体的精神的に受けてきた共産主義者といわれている人々は、ポツダム宣言受諾後のGHQによる日本のいわゆる間接統治の開始によって、新憲法下の日本に至る前に社会復帰を果たした。獄中から復帰した徳田球一率いる日本共産党が合法的に再結成したのは、戦後間もない1945年のことだった。それから新憲法下にあって日本は様々なテーゼを掲げるいわゆる左翼運動が展開された。大きな盛り上がりをみせたのは日米安全保障条約が締結された60年と昭和の妖怪と揶揄・畏怖されていた岸信介総理の時代に自動延長が調印された70年安保闘争だった。この頃になると、学生運動=新左翼運動であり、ブント(共産主義者同盟)もその掲げるテーゼや思想によって、様々な会派や運動に分岐して行った。現在60歳から64歳位までの方々の世代である。(ちなみに私は30代であるが)
この頃の国家権力といえば、ひたすらこの様な新左翼運動や団体そのものを取り締まることに躍起であった。群衆は”一瞬にして暴徒と化す”という国家権力が抱く恐怖は、事実国家公務員に対しても及んでいた。国家公務員による政治活動や労働争議を完全に取り締まるという趣旨で、判例や改正立法に於いても厳格化されて来た。暴徒が国家の中枢機能である国家公務員に波及したら、もはやにっちもさっちも行かないからという訳だ。
しかしながら、ベトナム戦争が終わった70年代も半ばになると新左翼運動は鎮静化の一途に向かう団体と、一部おかしな方向に向かう団体が現れた。固有名詞は出さないが、過激な出で立ちで過激な行動をする者たち。究極的には浅間山荘事件やよど号事件など・・そして、中には大学に残りながら、オルグといって純粋な向学心の強い学生たちを理論や動機付けで口説き落として常に組織をつくりながら、即時的には大学の自治会として大学当局と対峙して学生の”権利”をかちとってゆきつつ、ときには反核運動やその他様々な政治活動をおこないその組織を維持延命させてきた。
新左翼運動が全国的に沈静化してくると、国家権力はあることに気付き始めた。この”沈静化”とは学生たち(新左翼)から見れば、確かに70年代安保闘争の敗北であり挫折であり無気力頽廃的さを醸すものであり、「もう俺たちが直接革命的に国家権力に抵抗してもどうにもならないのさ」という正論を認識させるものであり、”学生運動離れ”そのものであった。そして森田童子などを聴きながら刹那的な学生時代をせめて満喫するというような風潮が更に”沈静化”に拍車をかけた。こうした時代の作る動きを、国家権力は十分理解していた。やがて国家権力は、強化してゆく警察権力の構成する枠の範囲で、一部の新左翼運動団体を”飼う”こととしたのだ。狙いは”暴徒”と化すおそれのある群衆を作らない為だ。
つまり、一部の”過激派”といわれている団体が市中で例えば『反戦反核』を掲げてデモ行進を行い、同時に”過激派は危険キャンペーン”を警察権力が行えば、一般市民は『反戦反核運動をする者たちは一般社会から遊離した常に危険な存在なんだ』と思ってくれる。そうなると、国家の政策に反対する者たちは『一般社会から遊離した危険な存在』だと飛躍して捉える様になる。いわば必要悪として一定の範囲内で新左翼を”飼う”ことで、国家権力は世論をコントロールすることが出来るのだ。
今回の東電福島第一原子力発電所の事故に端を発し、僅少報道されているデモ行進などは、その多くが旧態依然としている新左翼のものではない。いわゆる”示威行為”と呼ばれる類の特定の団体の存在をアピールする性質のものでもない。本当に原発事故の恐ろしさを実感し、一度事故が発生してしまうともはや地球規模の問題となる原発に純粋に反対し、それを共有共感させたい人々の思いや願いが形となって現れたものに過ぎない。そういった運動には”一瞬にして暴徒と化す”というような蓋然性は認められないであろう。なぜならば、原発事故から大切に守りたい人が居るという思いや願いが人を動かしている運動であり、そもそも古いやり方で国家を転覆させるべく暴徒と化すことに意味のないことを十分理解している人々による運動だからである。
様々なしがらみや考えがあってか、とかく自粛や偏りが目立つ日本の報道機関ではあるが、一辺倒な情報のみを真に受け止めるのではなく、常に私たちそれぞれが咀嚼して考えて吸収出来るようにしたいものだ。更にネット上で様々に交錯する情報にも惑わされないようにしっかり各々分析することも必要だ。
マスコミは単に『渋谷で原発反対を掲げるデモ行進があった』という聞き手のバイアスを期待させる事実のみを簡単に公表するのではなく、参加者がどの様な立場でどういった趣旨で参加しているのかを、もっと参加者の中に入り込んで客観的に公表すべきであろう。
さて、戦後間もない日本にあって、これまで治安維持法による徹底的な思想言論弾圧を生命身体的精神的に受けてきた共産主義者といわれている人々は、ポツダム宣言受諾後のGHQによる日本のいわゆる間接統治の開始によって、新憲法下の日本に至る前に社会復帰を果たした。獄中から復帰した徳田球一率いる日本共産党が合法的に再結成したのは、戦後間もない1945年のことだった。それから新憲法下にあって日本は様々なテーゼを掲げるいわゆる左翼運動が展開された。大きな盛り上がりをみせたのは日米安全保障条約が締結された60年と昭和の妖怪と揶揄・畏怖されていた岸信介総理の時代に自動延長が調印された70年安保闘争だった。この頃になると、学生運動=新左翼運動であり、ブント(共産主義者同盟)もその掲げるテーゼや思想によって、様々な会派や運動に分岐して行った。現在60歳から64歳位までの方々の世代である。(ちなみに私は30代であるが)
この頃の国家権力といえば、ひたすらこの様な新左翼運動や団体そのものを取り締まることに躍起であった。群衆は”一瞬にして暴徒と化す”という国家権力が抱く恐怖は、事実国家公務員に対しても及んでいた。国家公務員による政治活動や労働争議を完全に取り締まるという趣旨で、判例や改正立法に於いても厳格化されて来た。暴徒が国家の中枢機能である国家公務員に波及したら、もはやにっちもさっちも行かないからという訳だ。
しかしながら、ベトナム戦争が終わった70年代も半ばになると新左翼運動は鎮静化の一途に向かう団体と、一部おかしな方向に向かう団体が現れた。固有名詞は出さないが、過激な出で立ちで過激な行動をする者たち。究極的には浅間山荘事件やよど号事件など・・そして、中には大学に残りながら、オルグといって純粋な向学心の強い学生たちを理論や動機付けで口説き落として常に組織をつくりながら、即時的には大学の自治会として大学当局と対峙して学生の”権利”をかちとってゆきつつ、ときには反核運動やその他様々な政治活動をおこないその組織を維持延命させてきた。
新左翼運動が全国的に沈静化してくると、国家権力はあることに気付き始めた。この”沈静化”とは学生たち(新左翼)から見れば、確かに70年代安保闘争の敗北であり挫折であり無気力頽廃的さを醸すものであり、「もう俺たちが直接革命的に国家権力に抵抗してもどうにもならないのさ」という正論を認識させるものであり、”学生運動離れ”そのものであった。そして森田童子などを聴きながら刹那的な学生時代をせめて満喫するというような風潮が更に”沈静化”に拍車をかけた。こうした時代の作る動きを、国家権力は十分理解していた。やがて国家権力は、強化してゆく警察権力の構成する枠の範囲で、一部の新左翼運動団体を”飼う”こととしたのだ。狙いは”暴徒”と化すおそれのある群衆を作らない為だ。
つまり、一部の”過激派”といわれている団体が市中で例えば『反戦反核』を掲げてデモ行進を行い、同時に”過激派は危険キャンペーン”を警察権力が行えば、一般市民は『反戦反核運動をする者たちは一般社会から遊離した常に危険な存在なんだ』と思ってくれる。そうなると、国家の政策に反対する者たちは『一般社会から遊離した危険な存在』だと飛躍して捉える様になる。いわば必要悪として一定の範囲内で新左翼を”飼う”ことで、国家権力は世論をコントロールすることが出来るのだ。
今回の東電福島第一原子力発電所の事故に端を発し、僅少報道されているデモ行進などは、その多くが旧態依然としている新左翼のものではない。いわゆる”示威行為”と呼ばれる類の特定の団体の存在をアピールする性質のものでもない。本当に原発事故の恐ろしさを実感し、一度事故が発生してしまうともはや地球規模の問題となる原発に純粋に反対し、それを共有共感させたい人々の思いや願いが形となって現れたものに過ぎない。そういった運動には”一瞬にして暴徒と化す”というような蓋然性は認められないであろう。なぜならば、原発事故から大切に守りたい人が居るという思いや願いが人を動かしている運動であり、そもそも古いやり方で国家を転覆させるべく暴徒と化すことに意味のないことを十分理解している人々による運動だからである。
様々なしがらみや考えがあってか、とかく自粛や偏りが目立つ日本の報道機関ではあるが、一辺倒な情報のみを真に受け止めるのではなく、常に私たちそれぞれが咀嚼して考えて吸収出来るようにしたいものだ。更にネット上で様々に交錯する情報にも惑わされないようにしっかり各々分析することも必要だ。
マスコミは単に『渋谷で原発反対を掲げるデモ行進があった』という聞き手のバイアスを期待させる事実のみを簡単に公表するのではなく、参加者がどの様な立場でどういった趣旨で参加しているのかを、もっと参加者の中に入り込んで客観的に公表すべきであろう。